パニック共病文庫

パニック歴6年目の私がアドラー心理学をもとにパニック障害改善の糸口を見出すブログ

パニックの始まり〜はじめに〜

はじめまして! パニック障害と診断されて6年目、HYです!

 

このブログでは…

  • パニック障害で悩んでいる方に向けて私の経験やさまざまな情報を提供し、私も一緒に改善に向けて闘っていく。
  • パニック障害について知らない方に、少しでもパニック障害について理解していただけるように務める。

この2つを重点に置いて、記事を書いていこうと思います。

 

そんな記念すべき第1回目の記事は「私について」少しお話しできればなと思います。

 

  • 初めての発作

私が初めて「これ、パニック障害ってやつかもしれん」って意識し始めたのは高校1年の時です。

期末テストで先生が問題用紙を配っている時のことでした、全てはここから始まったのです。

なんの前触れもなく襲ってきた症状は「吐き気」、「口の中の異常な乾き」、「激しい動悸」でした。

 

「あれ、なんだこれ…やばい、とりあえずトイレに駆け込みたい」

 

手を上げて、許可をもらって走ってトイレに駆け込みました。

すると10分ほどで安心したのか、それらの症状は出なくなったのですが…

 

「なんだったんだろう、教室に帰ってテスト受けなきゃ」

 

そんな思いとは裏腹に、あの教室に帰らなきゃって意識すればするほど私の中の「恐怖」を意識せざるをえないようになっていました。

つまりは、トラウマ化してしまったんですね。

 

すごい勇気を振り絞って、教室に戻り、なんとか保健室でテストを受けましたが、次の日から学校に行くことすら怖くなってしまったんです。

 

「また昨日みたいな発作みたいなのが起きたらどうしよう」

朝起きて制服に着替えて、自転車を少し漕いでいるとまた恐怖が襲ってきて…

 

それでもなんとか学校についても、吐き気や気持ち悪さに耐えながらも朝の朝礼でリタイア、早退。 

家に帰って自分の不甲斐なさや、今まで過ごせていた普通の生活ができないなんとも言えない恐怖に心は完全に負けてしまい、泣く、そんな毎日を1週間ほど経験しました。

 

幸いなことに、友達が心配して家に来てくれたり、保健室で休んでいる時も「一緒に昼飯食べようぜ!」って言ってくれたりと精神的な支えになってくれる友達がいてくれたおかげで、少しづつですが学校に行けるまでには回復したのです。

 

そして当時は、体育会系のスポーツをしていたので「こんな発作に負けてられるか!」みたいな根性だけはかろうじてあったので、なんとか頑張れてる日々でした。

 

 

・母親は理解してくれないんだと諦めた日

 

いよいよ高校生活も終盤に差し掛かり、「受験」という考えたくもない進路を決定する時期がやってきました。

 

授業の合間の休憩中や、昼ごはんの時は発作は出なくなるまで回復していたものの、授業中は「めっちゃ気持ち悪い」気持ちを50分間耐えるという生活を続けていました。

(余談ですが、発作が起きている時間はすごく長く感じるので50分耐えるなんて地獄でしかなかったです。笑 )

 

そんな私だったので、「途中退室不可」なんて書いてある試験場、ましてや「大学受験でテスト受けるなんて絶対無理!!」ってなってた私は、保健室の先生に相談しました。

 

心療内科に行った方がいいかもしれないね。お母さんとかに相談してみたらどう?」

 

母親に自分がパニック障害かもしれないから心療内科に行きたい。なんていうのは結構勇気が必要でした。

 

なぜかというと、小学生の頃から母親は私が精神的に弱いところをみると、

「どうして?男の子なんだから強くなりなさい」

 

成人した今となっては分かります、母親の教育というか愛情というか。

でも、きっと私は母親に突き放されるのではなく、「弱い自分を認めて欲しかった」んだと思います。

 

 

ですが、背に腹は変えられません。

 

「母さん、心療内科に行きたい」

 

本気で勇気を振り絞りました。しかし。

 

心療内科なんか頭がおかしい人が行くところ」

以上。笑

 

どこかの本で読んだのですが、ちょうど私の母親の世代から心の病が世間的に少し認知され始めた時代で、「心療内科は頭がおかしい人が行くところ」と理解していた方が結構多かったようです。

 

昔は学校でも体罰は普通にあって、根性論のようなものが当たり前だと思われていた時代の流れみたいなものが大きかったんだと思います。

 

頭がおかしい人ってどういう人を指しているのか全くわかりませんが、心療内科はそんなところじゃありませんし、心の病を抱えている人を「頭がおかしい人」としか理解できない方が「頭がおかしい」と当時思いましたし、今でもそう思っています。

 

話がずれましたが、そんなこんなで私は今まで貯めたおこずかいで心療内科に通うことにしました。

 

 

・初めての心療内科、病名は「パニック障害、広場恐怖」

 

初めて心療内科を受診し、問診を終えた後「パニック障害、なかでも広場恐怖」と診断されました。

 

広場恐怖とは簡単にいうと、満員電車や特急の電車、映画館であったり、試験場など自由のない空間にいけなかったり、避けたりしてしまう症状です。

 

そのクリニックではアルプラゾラムを処方してもらい

 

「発作が出そうになったら飲んでくださいね」と言われました。

 

薬の効果は素晴らしく、学校の授業も普通に受けることができるようになり、受験もなんとか乗り越えることができたのです。

 

 

今でも薬は「やばいな…」と思ったら飲むようにしています。

根本的な改善はできていません。

 

長くなりましたが、発症した時期に絞ってみるとこんな感じです。

実際は小学生の時の話など細かいところも説明するともっと長くなってしまうのですで省きます。笑

 

次回からは実際に、実践的な予期不安を軽減する方法だったり、アドラー心理学をもとに考え方の改善などの記事を書いていこうと思います。

 

ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございます。

もし、パニック障害で悩んでいた、悩んでいる方がいればコメントなどしていただけると励みになります。

 

実際に今悩んでいる方、私と一緒に頑張りましょう。

心がけ次第で絶対に治る病だと言われていますし、いつか「そんな時期もあったなぁ」と思える日が来るのを信じて前を向いていきたいと思います。

 

それでは、また次回お会いしましょう。

 

HY