実践アドラー心理学 〜原因論と目的論〜 人は今この瞬間から変われる!?
こんにちは! HYです!
今回から実際に
・アドラー心理学とは何か。
・原因論と目的論
について、実際に私の経験を踏まえつつ紹介していきたいと思います。
・アドラー心理学とは
アドラー心理学とはオーストリア出身の精神科医『アルフレッド・アドラー』が20世紀初頭に創設した心理学です。
他にも有名な心理学には『フロイト』や『ユング』などがありますが、アドラー心理学はそれらとは違った観点の心理学と言えるかもしれません。
その大きな違いの一つが次に紹介する『原因論』と『目的論』です。
・人は今この瞬間から変われる!『原因論』と『目的論』
いきなりですが、
あなたは今この瞬間から変わることができる!!
って言われたらどう思いますか?
…は?
もしかしたらあなたはこう思ったかもしれません。
この瞬間から変われる!なんて言われても、そんな「簡単に変わることができれば苦労しなくね?」と思いますよね、僕もそう思います。
でも、アドラー心理学では「人は今この瞬間から変わることができる」のです。
なぜか。今から私の具体例を挙げて説明していきますね。
hy-toubyoubunnko.hatenablog.com
まだ前回の記事を読んでいない方は、私の症例について軽く触れているので読んでいただけると幸いです!
なぜ「今この瞬間から変われるのでしょうか」
私は小学生の頃、「食べること」「嘔吐」に対して過剰なほど恐怖を感じていました。
野球のコーチから大きくなれ!と言われプレッシャーを感じてしまったことが一番の原因ではないか?という話でした。
ここで『原因論』と『目的論』について簡単に説明します。
『原因論』は、「あらゆる結果の前には原因がある」と考えます。
私の例で例えると「食べること・嘔吐に対する恐怖の結果はコーチからの言葉のせい(原因)だ」ということになります。
一方でアドラー心理学が提唱する「目的論」は
『コーチから「食べろ」とプレッシャーをかけられたくないから、食べること・嘔吐に対する恐怖という感情を作り出している』
と考えます。
つまり、わたしには「プレッシャーから逃げたい」という「目的」が先にあって、この目的を達成するための手段として「恐怖」という感情を作り出している。
ということになります。
他の例も挙げてみましょう。
例えば私が「途中で降りることができない特急電車は、発作を起こした時に逃げることができないから乗れない」とします。
この場合「特急電車に乗らない」という「目的」が先にあって、「発作が起きたらどうしよう」という「不安の感情」を作り出している。となるのです。
原因論の問題点は『過去に基づいて現在がある』と考えてしまうことです。
何が問題なのかというと、この理論では「過去の経験によって全てが決まってしまう」ことです。
私が所属していた野球チームには私と同学年の子が6人ほどいました。
彼らも私と同様にコーチから同じ言葉をかけられたのにも関わらず、普通にご飯を食べることができていました。
原因論に基づいて考えるのならば、いずれ私と同じように「対人関係や食べることなどに対して、なんらかのトラウマをもつことになる」ということになるはずです。
ではなんで私と彼らにこの違いが生まれたのでしょう。
アドラー心理学では『現在の自分は今までの経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって決定される』とされています。
同学年の彼らは
「美味しいものがこんなに食べることができてラッキー!!」
「将来プロ野球選手になるために大きくならなきゃ!!」
これらはあくまで私の勝手な予想ですが。
コーチの言葉に対して、自分なりの意味や目的を見出していたのでしょう。
一方で私は「食べ過ぎると気持ち悪くなる」「食べることを強要されたくない」という目的を見出したのです。
『経験に対してどのような意味を与えるかは自分の選択である」
のです。
原因論の考え方をしている限り、人は変われないのかもしれませんね。
あなたも今日から変わってみませんか?ぜひ、アドラーの目的論、頭の片隅にでも置いといて下さいね!
次回のテーマは『全ての悩みは対人関係」です。
今日もここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
ではまた次回お会いしましょう!!
パニックの始まり〜はじめに〜
このブログでは…
この2つを重点に置いて、記事を書いていこうと思います。
そんな記念すべき第1回目の記事は「私について」少しお話しできればなと思います。
- 初めての発作
私が初めて「これ、パニック障害ってやつかもしれん」って意識し始めたのは高校1年の時です。
期末テストで先生が問題用紙を配っている時のことでした、全てはここから始まったのです。
なんの前触れもなく襲ってきた症状は「吐き気」、「口の中の異常な乾き」、「激しい動悸」でした。
「あれ、なんだこれ…やばい、とりあえずトイレに駆け込みたい」
手を上げて、許可をもらって走ってトイレに駆け込みました。
すると10分ほどで安心したのか、それらの症状は出なくなったのですが…
「なんだったんだろう、教室に帰ってテスト受けなきゃ」
そんな思いとは裏腹に、あの教室に帰らなきゃって意識すればするほど私の中の「恐怖」を意識せざるをえないようになっていました。
つまりは、トラウマ化してしまったんですね。
すごい勇気を振り絞って、教室に戻り、なんとか保健室でテストを受けましたが、次の日から学校に行くことすら怖くなってしまったんです。
「また昨日みたいな発作みたいなのが起きたらどうしよう」
朝起きて制服に着替えて、自転車を少し漕いでいるとまた恐怖が襲ってきて…
それでもなんとか学校についても、吐き気や気持ち悪さに耐えながらも朝の朝礼でリタイア、早退。
家に帰って自分の不甲斐なさや、今まで過ごせていた普通の生活ができないなんとも言えない恐怖に心は完全に負けてしまい、泣く、そんな毎日を1週間ほど経験しました。
幸いなことに、友達が心配して家に来てくれたり、保健室で休んでいる時も「一緒に昼飯食べようぜ!」って言ってくれたりと精神的な支えになってくれる友達がいてくれたおかげで、少しづつですが学校に行けるまでには回復したのです。
そして当時は、体育会系のスポーツをしていたので「こんな発作に負けてられるか!」みたいな根性だけはかろうじてあったので、なんとか頑張れてる日々でした。
・母親は理解してくれないんだと諦めた日
いよいよ高校生活も終盤に差し掛かり、「受験」という考えたくもない進路を決定する時期がやってきました。
授業の合間の休憩中や、昼ごはんの時は発作は出なくなるまで回復していたものの、授業中は「めっちゃ気持ち悪い」気持ちを50分間耐えるという生活を続けていました。
(余談ですが、発作が起きている時間はすごく長く感じるので50分耐えるなんて地獄でしかなかったです。笑 )
そんな私だったので、「途中退室不可」なんて書いてある試験場、ましてや「大学受験でテスト受けるなんて絶対無理!!」ってなってた私は、保健室の先生に相談しました。
「心療内科に行った方がいいかもしれないね。お母さんとかに相談してみたらどう?」
母親に自分がパニック障害かもしれないから心療内科に行きたい。なんていうのは結構勇気が必要でした。
なぜかというと、小学生の頃から母親は私が精神的に弱いところをみると、
「どうして?男の子なんだから強くなりなさい」
成人した今となっては分かります、母親の教育というか愛情というか。
でも、きっと私は母親に突き放されるのではなく、「弱い自分を認めて欲しかった」んだと思います。
ですが、背に腹は変えられません。
「母さん、心療内科に行きたい」
本気で勇気を振り絞りました。しかし。
「心療内科なんか頭がおかしい人が行くところ」
以上。笑
どこかの本で読んだのですが、ちょうど私の母親の世代から心の病が世間的に少し認知され始めた時代で、「心療内科は頭がおかしい人が行くところ」と理解していた方が結構多かったようです。
昔は学校でも体罰は普通にあって、根性論のようなものが当たり前だと思われていた時代の流れみたいなものが大きかったんだと思います。
頭がおかしい人ってどういう人を指しているのか全くわかりませんが、心療内科はそんなところじゃありませんし、心の病を抱えている人を「頭がおかしい人」としか理解できない方が「頭がおかしい」と当時思いましたし、今でもそう思っています。
話がずれましたが、そんなこんなで私は今まで貯めたおこずかいで心療内科に通うことにしました。
初めて心療内科を受診し、問診を終えた後「パニック障害、なかでも広場恐怖」と診断されました。
広場恐怖とは簡単にいうと、満員電車や特急の電車、映画館であったり、試験場など自由のない空間にいけなかったり、避けたりしてしまう症状です。
そのクリニックではアルプラゾラムを処方してもらい
「発作が出そうになったら飲んでくださいね」と言われました。
薬の効果は素晴らしく、学校の授業も普通に受けることができるようになり、受験もなんとか乗り越えることができたのです。
今でも薬は「やばいな…」と思ったら飲むようにしています。
根本的な改善はできていません。
長くなりましたが、発症した時期に絞ってみるとこんな感じです。
実際は小学生の時の話など細かいところも説明するともっと長くなってしまうのですで省きます。笑
次回からは実際に、実践的な予期不安を軽減する方法だったり、アドラー心理学をもとに考え方の改善などの記事を書いていこうと思います。
ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございます。
もし、パニック障害で悩んでいた、悩んでいる方がいればコメントなどしていただけると励みになります。
実際に今悩んでいる方、私と一緒に頑張りましょう。
心がけ次第で絶対に治る病だと言われていますし、いつか「そんな時期もあったなぁ」と思える日が来るのを信じて前を向いていきたいと思います。
それでは、また次回お会いしましょう。